魚は痛みや苦痛を感じるのか?釣りは残酷なスポーツなのか?魚の認知や意識に踏み込んで解説!【動物福祉】【動物愛護】

突然ですが、あなたは魚も痛みを感じたり苦しんだりすると思いますか?

ちなみに、以前TwitterやYouTubeでアンケートを行った結果は以下の通りです。

人それぞれ意見はあると思いますが、一つ確かなことは、哺乳類と魚では倫理的な扱いや世間一般の思い入れが異なるということです。

例えば、釣りという行為の中で僕たちは魚の口に針を突き刺し、彼らが呼吸できない空気中に引きずり出しています。

これらの行為は多くの人が当たり前に行っていますが、もし僕が猫や牛の顔に針を突き刺して水中で溺れさせたらどうでしょう?

恐らく極悪非道なサイコパス扱いされ「同じ目に遭え!」などの非難を浴びると思います。

では、こうした考え方の違いは妥当なのか?

僕たちの魚に対する倫理的な扱いや福祉への配慮は適切なのか?

恐らくこれらの問題を多くの人が考えたことがなく、考える必要がないと思っている人さえいる気がしてなりません。

今回はそもそもの議論のきっかけや材料にしてもらうべく、魚は痛みを感じるか?というテーマを解説をしてきますので最後までお付き合いいただけると幸いです。

目次

解説動画:魚は痛みや苦痛を感じるのか?釣りは残酷なスポーツなのか?魚の知能や意識の問題にも踏みパンドラの箱と呼ばれた命題に迫る!【動物福祉】【動物愛護】

このブログの内容は以下の動画でも解説しています!

※動画公開は2022年3月21日です。

痛みとは何か?

今回はヴィクトリア・ブレイスウェイトさんという研究者の著書『魚は痛みを感じるか』に沿って話を進めていきます。

魚が痛みを感じるかを議論する上でまず重要なのは「痛みとは何か?」を定義することです。

同書内にて、痛みは単なる刺激ではなく情動を伴う刺激であるという風に述べられています。

例えば、外部から自分に害をなすような刺激を受けて、それに反応するという行動は、あらゆる生物で観察されています。

痛みを感じるどころか脳みそすら持たないイソギンチャクの仲間も、他のイソギンチャクから触手で攻撃された際にそれを避けるような行動を見せます。

生物の進化という視点で考えれば、こうした行動は生命の危機を回避、迅速な回復につながるので、痛みを感じにくい生物よりも痛みを感じてそれを避ける生物の方が自然淘汰で生き残りやすくなります。

そのため、こうした刺激に対して生物が反応するのは当然のことにも思えます。

しかし、僕らが感じている痛みは、単に刺激を機械的に受けるもの(侵害受容)ではありません。その刺激について辛いと感じたり「もう二度と味わいたくない!」という苦しみや恐怖などの感情を伴うものです。

つまり、「魚は傷みを感じるか」という疑問を解決するには、ただ単に「脳のこの部分で刺激を受けている」という脳や神経の分析だけでなく「魚には知覚や気づきの能力があるのか?」や「魚には意識が存在するのか?」という部分に踏み込む必要があります。

痛みによる生理反応の検証

では、どうやって痛みを感じているかを確かめるのでしょうか?

人間同士なら表情を見たり言葉を交わして確かめられますが、魚では同じようにはいきません。そこで、著者のブレイスウェイトさんは段階的な実験を実施しました。

まず彼女は、魚の生理的な反応を検証しました。つまり、痛みを感じるような刺激を与えた際に人間でも変化が起こる生理反応、食欲の減退や呼吸速度の変動が発生するのかを調べることにしたんです。

  • 第一段階・・・魚に哺乳類や鳥類と同じような外的刺激をコントロールする受容体と神経線維があるのかを検証
  • 第二段階・・・その受容体や神経線維は、魚がダメージを受けたときに活動状態になるのかを確認
  • 第三段階・・・ダメージを受けた魚の行動が、刺激をただ単に受けるという範疇を超えて、その「痛み」の経験により大きく影響されるかを検証

なお、実験対象は養殖や釣りの対象にもなるマスの仲間で、調べられた箇所は釣りの際に針が刺さる口の周りでした。

第一段階

実験対象であるマスの神経線維を調べたところ、哺乳類と鳥類の侵害受容において重要なAδ(デルタ)繊維とC繊維が確認できました。

第二段階

顔や口に点在する受容体に対し、細い金属糸による触覚刺激、集中した光による熱刺激、酢を含んだ水溶液による化学刺激を与えました。

すると、各刺激の全てあるいは一部に対し、それぞれ受容体が反応して電気信号が送られることが確認されました。

第三段階

第三段階が肝になってきますが、ここではハチの毒と酢という二つの化学物質を用いて、その刺激による行動変化が観察されました。

具体的には、毒や酢を顔に注射した後、魚の鰓蓋の開閉回数とエサを与えたときの行動を記録し、痛みによる刺激がどの程度影響するのかを調べるという手法です。

もちろん、化学物質による痛みではなく「水槽から一時的に出て人に触られる」や「注射を打たれる」という実験過程そのものが魚に影響する可能性もあるので、何もされずに水槽に戻されたり、塩水を注射されるだけの比較対象も用意されました。

その結果はどうだったのか?

実験では、ハチの毒や酢で処理された魚たちは、比較対象の魚たちに比べて明らかに鰓の開閉数が多くなり、しかもその期間が2時間半も長く続きました。

また、ハチの毒や酢で処理した魚たちは、うねるような独特の泳ぎをしたり、ガラスや砂利に口先をこすりつける動作を見せ、比較対象の魚たちが餌に関心を示した時間が経過しても食欲が回復しませんでした。

これにより、痛みを起こすような害的刺激を受けた魚の呼吸速度や飢餓レベルに重大な影響が出ることが証明されました。

痛みによる認知能力への影響を検証

以上の実験に加えて、ブレイスウェイトさんは魚の注意力が変化するかも確かめました。

呼吸や食欲に比べて、特定のものに注意を払うというのは認知的な気付きの能力を求められます。意識しなくても行う呼吸や勝手に湧いてくる食欲に比べると、複数の情報を統合して行う、より高次のプロセスなわけです。

つまり、先ほどのような刺激が魚の注意力に影響していれば、魚がただ機械的に刺激に反応しているわけではなく、僕たちが感じるような痛みを味わっている可能性がより高くなります。

今回の実験では、酢で処理したマスとただの塩水で処理したマスそれぞれの水槽に、鮮やかな色のレゴブロックで作った塔を置きました。

通常このような未知の物体が急に現れた場合、マスは警戒してしばらく近づきません。現に、塩水で処理しただけのマスは強い拒否反応を示し、塔から距離を保っていました。

しかし、酢で処理した魚は塔に近づいていき、比較対象がとったような回避行動を見せませんでした。

さらに、この酢で処理した魚にモルヒネを与えると、通常の回避行動を見せることも確認されました。つまり、鎮痛剤で痛みを緩和することで、マスの注意力が回復したんです。

これらの実験により以下の事実が明らかになりました。

  • マスは害的な刺激を検知する侵害受容体を持っている
  • それは細胞組織へのダメージを検知して神経に伝達する
  • 害的な刺激によって魚の生理的行動が変化する
  • さらに、認知や気づきという高次の情報処理にも影響が出る

以上を踏まえると、マスは刺激を受けて生理反応が変わるだけでなく、認知的な気付きの能力を持ち、刺激に起因するネガティブな経験をしている(つまり痛みを感じている!)可能性が十分にあると言えます。

魚に意識や知能はあるか?

以上の実験結果から、魚は痛みを感じている可能性が高いことが示されました。

しかし、ここまで聞いても「魚の知能は劣っている」などの偏見に引っ張られて、魚の認知能力や感情の経験というものを否定したがる人はいると思います。

実際、狩猟の写真や生餌の動画など、ネット上で動物の扱いが炎上するのはだいたい哺乳類か鳥類で、魚類の扱いが物議を醸すのは非常に稀です。

また、アニマルライツ支持者が漁業を批判する際、だいたいターゲットになるのはイルカ漁やウミガメの混獲で、本来の漁業対象である魚たちが争点になることはありません。

これらは個人的な好みの問題も関係していると思いますが、「哺乳類と魚では感覚・知能・意識などの面で大きな差がある」というイメージが世間に根付いているのは間違いないでしょう。

では、魚には意識や情動はないのでしょうか?

これは非常に難しいテーマであり、人間ですら意識や認知というのは明確な答えを出すのが難しいです。現在も研究中であったり、何の説明にもなっていない宗教やスピリチュアルで多くの人が誤魔化しています。

しかし、科学的な事実を集めると、魚における認知・経験・学習というのは多くの人が思っているよりも優れているように感じます。

その中で個人的に注目したい事例がホンソメワケベラ(Labroides dimidiatusです。

ホンソメワケベラ
ホンソメワケベラ。他の魚の寄生虫を食べるクリーナーフィッシュとして有名です。

近年日本の研究者が、ホンソメワケベラという魚の鏡像自己認知を確認しました。つまり、鏡に映った自分の姿を見て「これは自分の姿だ」と認識したんです。

ホンソメワケベラに鏡を見せて実験を行ったところ、彼らは鏡に映った姿を自分の姿だと認識し、寄生虫を模したマークをつけられた際は、それを鏡で確認してこすり落とそうとしました。

さらにその後、まだマークが自分についているかをもう一度鏡の前で確認する様子が観察されました。

鏡像認知はチンパンジーやイルカなど(いわゆる”頭がいい動物”)でしかできないイメージが根強く、この研究も一部から厳しい反論を受けました。

しかし、研究者の幸田正典さんはその反論に応じた様々な追加実験を行い、ホンソメワケベラが鏡像自己認知をしていることはほぼ間違いないと十分な証拠を示しました。

鏡像自己認知には自分という存在について認識し、その状態について考えることができる自己意識が必要であり、これは僕たちが一般に「こころ」と呼ぶものを持つ条件の一つとされています。

他にも魚の高度な知能や自己意識を示すような事例は数多く報告されています。以下はそのごく一部です。

  • 水槽の外に映るものを目印にして迷路の順路を記憶するキンギョ
  • 他の個体同士の争いを見て「AはBより強くBはCより強い⇒AはCより強い」という推論を行うシクリッド
  • 獲物を探すためにウツボとある種の協力関係を結ぶハタ

これらは一般に「頭がいい」の一言で片づけられがちですが、今回のテーマに沿って言えば、魚たちは自分たちの存在を自覚し、自分の経験や周りの環境など複数の情報を統合して判断を下す、高度な認知・学習能力があると結論付けることができます。

記憶が数秒しかもたないとすら言われる金魚も高度な認知学習能力を備えています。

また、脊椎動物の脳の構造を見てみると、大きさや発達部位の違いが多少あるものの、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類それぞれの脳の基本的構造はそこまで変わらないことが分かっています。

魚の知能や痛覚を否定する人は魚の脳に大脳新皮質がないことを根拠としてあげますが、魚の胚発生を調べた研究により、哺乳類とは異なる部位で扁桃体や海馬体に相当する箇所があることが分かりました。

これらの部位を傷つけたところ、哺乳類同様に空間学習や記憶の面で障害が発生することも確認されています。

つまり、脳の構造が哺乳類と多少異なっていても、哺乳類とは違う部位で哺乳類と同じような経験をしている可能性があります。哺乳類と異なる部分があるからといって、哺乳類と同じ能力がない保証にはなりません。

これらの事実を考慮し、僕は「魚は一般に思われているよりも高度な認識・学習を行うことができ、僕たちが当たり前に痛みを感じていると思える動物たち(鳥類や哺乳類)と何も変わらない存在と考えています。

もちろん、魚に限らず、他の動物が実際にはどのように世界を体験しているのかを、僕たちが完全に理解することはできません。

しかし、魚たちが僕たちと異なる脳で世界を体験し、それを完全に観測できないからといって、彼らに一切の情動がないとする根拠にはできません。

僕はあなたと痛みや悲しみを物理的に共有できませんが、それを根拠に「あなたは痛みや悲しいを経験していない」と言われたら納得できませんよね。それと同じことです。

現状蓄積された知見をもとに考えると、魚が全く痛みを感じていないとする方がむしろ無理があるように思えます。

パンドラの箱:魚の福祉を考える

今回の記事の元になった『魚は痛みを感じるか』という本の中で、このテーマは「パンドラの箱」と呼ばれています。

ここまで解説してきた通り魚が痛みを感じるのであれば、様々な活動や産業に影響を及ぼす可能性があるからです。

代表的なものが釣り、特にキャッチ&リリースです。

冒頭でも例えに出しましたが、釣りというのは、魚の口に針を突き刺し、呼吸のできない場所に引きずり上げる行為です。

食べる目的で一時的に苦しめてしまうならまだしも、ただ単に人間の快楽のためだけに何度も苦痛を与える行為は、果たして正当化できるものでしょうか?

釣り上げられたアジ
僕が実際に釣り上げたアジたち。この子たちは釣り上げてすぐにフライにしてもらいましたが、キャッチ&リリースでは何度も苦しめることになります。

また、漁業において捕まえた魚たちも、群れのまま網に詰め込まれることで強い圧迫を受けたり、呼吸が出来ない船の上で窒息する、延縄の針が刺さった状態で放置されるなどの扱いをされています。

魚が痛みや苦しみを感じているとすればかなり酷い仕打ちです。

誤解しないで欲しいのですが、僕はここで「釣りは邪悪なスポーツだ!や「漁師は悪魔だ!」のようなことが言いたいわけではありません(ゴミを放置する、幼魚を乱獲する、ブラックバスを密放流するなど、愚かで傲慢な釣り人も多いですが、ここでは議論しません)。

『魚は痛みを感じるか?』の中でも、「本書の目的は議論の下地を提供すること」と書かれており、釣り人や漁師を批判してはいません。著者のブレイスウェイトさんも魚を食べると自称しており、今回の実験もご自身のチームで行っています。

そもそも、僕たちは動物の肉を食べる必要があり。動物実験で安全が保障された製品に頼って生きています。

たとえベジタリアンになっても、野生動物の生息地を奪わないと安定した生活はできませんし、多少なりとも汚染物質は出てしまいます。

そして忘れてはならないのは、野生の動物たちは人間がやるよりも無慈悲な方法で容赦なく他の生物の命を奪うということです。生き物の関りというのは本来残酷なんです。

「残酷だから禁止しろ!」というのは勉強不足かつ安直な動物愛護であり、僕はそんな立場をとるつもりはありません。

しかし、それでも動物たちに何かしら配慮すべきと考えるなら、今日魚たちに対する法的規制や世間のイメージには、哺乳類や鳥類などに比べると「差別」と呼ぶにふさわしい大きな差があるように感じます。

魚たちの扱いはこのままでいいのか?

変えるとすれば僕たちはどうすべきか?

魚の福祉というテーマについて、今回の内容を踏まえ、自分なりに考えてみてはいかがでしょうか?

参考文献

  • ヴィクトリア・ブレイスウェイト 『魚は痛みを感じるか?』2012年
  • 幸田正典 『魚にも自分がわかる ――動物認知研究の最先端』2021年
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