「サメの中から人の一部が見つかった」と聞くと、凶暴な人喰いザメによる『ジョーズ』さながらの事件を想像するかもしれません。
しかし、実際にはサメが襲ったのではなく、何らかの事故や事件の被害者の遺体をサメが食べてしまっただけというケースもあります(下手したらその方が多いです)。
最近の事例で言えば、アルゼンチンで漁獲されたイコクエイラクブカというサメの中から人間の一部が見つかったのですが、このサメは1.5mほどの小型のサメであり、捜査当局もサメが死因ではないとしています。
そんな事件の中で恐らく最も有名なのが「Shark arm case」と呼ばれる、オーストラリアで起きた事例です。
今回は少し趣旨を変えて、一尾のサメから始まった不可解な事件について解説をしていきます。
水族館で吐き出された腕
1935年4月、オーストラリアのシドニーにあるクージー水族館に、近くの海岸で捕獲された3.5mのイタチザメが搬入されました。
水族館はこのイタチザメを目玉展示にすべく水槽で飼育を始めたのですが、一週間もしないうちにサメは体調を崩し、壁にぶつかったり水槽の底に沈んだりと、妙な動きをするようになりました。
そんな状態で迎えた4月17日、水槽内を泳いでいたイタチザメがまた妙な動きをした後、咳をするかのように胃の内容物を吐き出しました。
吐いたものの中には小動物の死骸や元が何か分からない消化物もあったのですが、その中にはっきりと人間の腕と分かる物体も混じっていました。
なお、この事件を解説する他の記事や動画で「人の腕を食べたことが体調不良の原因」のような伝え方をしている人がいますが、イタチザメは長期飼育が難しいサメとされており、水槽内で妙な泳ぎ方をしたりするのはよくあることです。
また、彼らは”海のゴミ箱”と称されるほど様々なものを普段から食べているため、「人間を食べたから体調を崩した」という訳ではないと思います(イタチザメの食性についてはコチラも参照)。
人間の腕を吐き出したことで詳細な捜査が必要になり、このイタチザメは殺処分及び解剖されてしまいました。
サメによる仕業ではない?
イタチザメはホホジロザメやオオメジロザメと並ぶ危険なサメとして有名であり、当時のオーストラリアではシャークアタックが複数発生していました。
そのため、クージー水族館で発見された腕についても、当初はサメによる事故の犠牲者のものと思われていました。
しかし、詳しい検死の結果、この腕はサメによって噛みちぎられたのではなく、刃物によって切り取られたことが判明します。
これにより、これはサメに人が襲われた不幸な事故ではなく、何者かがこの男性を殺害して遺体の一部を海に捨てたという、殺人事件の可能性が浮上してきました。
タトゥーから被害者特定
殺人事件と言っても腕だけしか見つかっていないので、まずはこの男性が誰なのかを調べないといけません。
そこで手掛かりになったのは、遺体に残されたタトゥーです。
イタチザメが吐き出した腕には、二人のボクサーが向かい合って闘っているような、独特のタトゥーが彫られていました。
警察がこの写真を公開して情報提供を呼び掛けたところ、エドウィン・スミスという男性が「あの腕は自分の兄のものかもしれない」と連絡してきました。
エドウィンによれば、彼の兄ジェームズは写真と同じようなタトゥーを入れており、数週間前から行方不明になっているとのことでした。
さらに、吐き出された腕からは指紋も採取され、腕の持ち主はジェームズ・スミスだと断定されました。
二人の容疑者
サメから吐き出された腕の持ち主ジェームズ・スミスについて捜査していた警察は、パトリック・ブレイディとレジナルド・ホームズという二人の容疑者にたどり着きます。
被害者のジェームズはプロボクサーを志したのちに落ちぶれて詐欺・偽装・密輸などの犯罪に手を染めるようになっていたのですが、簡潔に言えばレジナルドはそのボス、パトリックは同業者という関係性でした。
そして、表向き造船業を営んでいたレジナルドは、保険金をかけたヨットをわざと沈めるという保険金詐欺を企てたのですが、この時にジェームスが捜査当局に情報提供をしたことで、この計画が失敗してしまいます。
つまり、レジナルドにはジェームズ殺害の十分な動機がありました。
一方のパトリック・ブレイディについて、彼も元々ジェームズと共にレジナルドとかかわりをもっており、ジェームズと最後にいたのを目撃された人物でした。
警察は、ジェームズが最後に目撃された時のパトリックの足取りや、当日に彼を乗せたタクシー運転手の証言などから「パトリックがレジナルドの命令または依頼でジェームズを殺害。残りの遺体を何らかの方法で処分。切断した腕をレジナルドの元に運んだ後で海に捨てた」という仮説を立てました。
レジナルドの主張:犯人はパトリック?
パトリックとレジナルドはかなり疑わしい立場でしたが、すぐに逮捕ができるほど確たる物的証拠もない状況でした。
そんな中、黒幕と目されていたレジナルドが逃走し、自殺未遂をするという事態が発生します。
レジナルドは自身が所有していたボートに乗って逃げまわった後、警察に追い詰められた末に拳銃で自分の頭を打ち抜いてしまいます。
奇跡的に一命をとりとめて病院に搬送されたレジナルドは、事情聴取にて「ジェームズを殺したのはパトリックで、自分は殺人に関与していない」と主張します。
レジナルドは「パトリックが突然自分の家に現れた。彼は切断されたジェームズの腕を見せて「金を払わないとこいつと同じ目に遭うぞ」と脅迫してきた。パニックになった自分は、ジェームズの腕を奪い取って海に捨ててしまった」と証言しました。
「何がどうなったらパニックになって腕を奪い取った挙句に海に捨てるという結末になるのか?」というツッコミどころはありますが、サメの捕獲時期との時系列も合致していることから、警察はレジナルドを証人としてパトリックの起訴に踏み切りました。
証人レジナルドの死亡
こうしてジェームズ・スミス殺人事件の裁判が始まったのですが、肝心の証人であるレジナルドが車の中で射殺されるという事件が発生します。
サスペンス映画なら「レジナルドに証言させたくないパトリックの犯行だ」と疑いたくなるのですが、実はこの事件の犯人はレジナルド自身が雇った殺し屋でした。
レジナルドは自身に多額の保険金をかけて、妻をその受取人にしていました。しかし、自殺では保険金が下りないということで、殺し屋に自分を殺させるという手段に出たんです。
これについても「何故このタイミングなのか?」や「バレたら保険金は下りないのでは?」など疑問はあるのですが、とにかくこのレジナルド死亡により、警察は事件の重要な証人を失ってしまいます。
事件は迷宮入りに
レジナルドが死亡したことで、パトリックをジェームズ・スミス殺害の罪に問うことが一層難しくなりました。
元々物的証拠がなかったことに加え、弁護側は「そもそも腕しか見つかっていない状況では、ジェームスが現在も生存している可能性を排除できない。殺人罪を適応するのは無理がある」として無罪を主張しました。
原告はこの主張を覆すことが出来ず、パトリック・ブレイディは無罪になりました。
この事件については今でも考察がされていて、「ジェームズの情報提供で逮捕された別の犯罪者の仕業ではないか」という説もありますが、現在も真相は分かっていません・・・。
あとがきにかえて
以上が、水族館のサメが人の腕を吐き出した事件の解説でした。
後半はほとんどサメに関係なくなってしまったのですが、「サメの中から人が出てきたからといって、そのサメが人を襲ったとは限らない」ということは覚えておいていただけると幸いです。
また気になるサメ関連のニュースなどあれば紹介していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
参考文献&関連書籍
- The Dictionary of Sydney『Shark Arm murder』2010年(2023年3月30日閲覧)
- Live Science『Missing man’s remains found in shark’s belly, but it’s ‘very very unlikely’ the shark killed him』2023年(2023年3月30日閲覧)
- Mental Floss『When a Captive Shark Vomited Up a Human Arm—and Sparked a Murder Investigation』2021年(2023年3月30日閲覧)
- news.com.au『How severed arm regurgitated by tiger shark led to murder mystery』2019年(2023年3月30日閲覧)
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