創作物やフィクションにおける生き物関連の誤り・不適切描写を批判するのはやり過ぎか?

2026年3月9日 サメにゃんを扱った作品『mofusand』作者であるぢゅの氏がXに投稿した画像が物議を醸しました。

問題となったのは『mofusand』の猫が、ネズミと小鳥を加えて持ち帰る様子のイラストです。

実際の投稿はコチラ↓

このイラストに対して、

侵略的外来種による生態系への被害を肯定的に描いている

ネズミや鳥が好きな人にとって残酷な描写である

室内飼育が推奨されている

などの批判が巻き起こりました。

その一方で、猫の問題に理解のある方々も含めた一部から、

ネコが小動物狩ってきた創作を出しただけでここまで叩かれるのはおかしい

フィクションなのだから作品そのものを否定するのはやり過ぎ

まず大前提として話しておくと、猫(厳密にはイエネコ)は人間が品種改良で作り出した動物のため必然的に外来種です。そして、数々の在来種を捕食、伝染病の媒介、在来猫類との交雑などの問題を引き起こす侵略的外来種でもあります。

早い話、環境保全や公衆衛生の観点から言えば、本来屋外で野放しにしてはしていい動物ではありません。

また、猫が外で動物を捕まえてくるということは、放し飼いになっていることを意味します。これは交通事故、伝染病、捕食動物、変質者などの被害に遭うリスクを飼い主が放置している、不適切飼育と見なすことができます。

したがって「ネズミ好きや鳥好きにとって残酷」云々の話は人それぞれの好みの問題だとしても、少なくともこのイラストが、個人的な不快感というものを越えた、生態系保全・環境教育的に問題のある描写を内包していることは確かです。

では、こうしたフィクションの創作物における生物や環境に関する誤った知識、不適切な描写を批判するのは良くないことなのでしょうか?

今回は上記の問題で、僕なりの回答を示していきます。

目次

解説動画:創作物やフィクションにおける生き物関連の誤り・不適切描写を批判するのはやり過ぎか?

このブログの内容は以下の動画でも解説しています!

※動画公開日は2026年4月12日です。

指摘・批判・否定を分けて考える

この問題に関しての僕の考えは、「指摘・批判・否定を分けて考える。そして、指摘や批判は許されるべきだが、否定はしない方が良い」です。

まず初めに断っておくと、ここで使う「指摘・批判・否定」の定義は全て僕個人が勝手に決めたものです。何か学術研究や公的機関に定められたものではなく、あくまで個人的な方針、ある種の提案だと思ってください。

ここで議論する「指摘・批判・否定」の定義は以下の通りです。

指摘

「作品中のこの情報や描写にはこういう誤りや問題がある」と事実を述べたり紹介する行為

批判

作品中に誤りや不適切描写があるによる違和感や不快感、それによる社会的影響などを考慮して、作品の好き嫌いを語ったり評価する行為

否定

作品中でに誤りや不適切な描写があることを理由に、「この作品は消されるべき」「こういう作品を出すな」と主張する行為

僕の主張を繰り返すと、「指摘・批判」は良いけど「否定」は良くないです。今回のmofusandイラストの議論に当てはめると、以下のようになります。

  • 猫が侵略的外来種であること、イラストの描写が猫の加害性や不適切飼育のワンシーンを描いているという事実を指摘することは問題ない。
  • そうした侵略的外来種の問題、屋外飼育の問題に無頓着で、むしろほのぼのしたシーンとして描いている作風が好きではない、良くないという批判もあって然るべき。
  • しかし、「不適切な屋外飼育を助長するから、こういうイラストを描くな」という否定はやり過ぎ。

フィクションにケチをつけるべきではない?

ここいう話をすると、

指摘とか否定以前に、そもそもフィクションなんだからケチをつけること自体がおかしい

みたいな意見をもらうことがあります。

これについて僕が言いたいのは、「フィクションについて現実的な指摘をするなと言う資格があるのは、その描写の何が問題かを理解できている人だけではないか?」ということです。

サメ映画を例に説明します。

竜巻で飛んできたサメが人を食べまくる『シャークネード』ついて、「サメが空を飛んだ状態で生きられるわけでがない」という指摘をするのは、間違いではありませんが、少し野暮な気がします。

なぜなら、サメに詳しくない人が見ても現実的ではないと分かりますし、観客もこれがバカバカしいものだと分かって楽しむ類の作品だからです。

では、以下のような描写についてはどうでしょう。

  • 観光地に現れて人間ばかりを次々に襲う巨大ホホジロザメ
  • ティラノサウルスに豪快に噛みつくメガロドン

これらは『ジョーズ』と『MEG ザ・モンスターズ2』で実際に観られるシーンですが、何がおかしいのか分からない人も多いのではないでしょうか。

もし「現実には同一個体のサメが人間を連続して襲う事例は非常に稀である」や「ティラノサウルスとメガロドンは時代が全然違う生き物だから一緒にいるわけない」などの知識を持ったうえで作品を楽しんでいるなら、「フィクションだと思って楽しんでいるんだから・・・」というのは理解できます。

しかし、知識不足で何がおかしいのか分からなかった人は、身も蓋もない言い方をすればフィクションと現実の区別が曖昧だったわけですから、そういう反論をする資格はないのではないでしょうか。

今回のmofusandイラストの事例で言えば、猫が侵略的外来種であることや屋外飼育の問題点について、世間的にはまだまだ認知が広まっていないのが現状でしょう。

あくまで推測にはなりますが、このイラストを描いてネットに投稿する時点で作者自身も知らなかったか、問題自体は知ったうえで重大性を認識できていなかった可能性が高いです。

したがって、猫が野外の動物を捕獲しているイラストを取り上げて侵略的外来種の問題を紹介したり、それを理由にこの作品の好き嫌いを論じること自体は問題のない指摘・批判の範疇だと考えます。

否定まではしない方が良い理由

逆に「こんな不適切なものは世に出るべきではない。作品を削除すべき」という人は、否定すべきではないという僕の見解に納得できないかもしれません。

否定すべきでない理由としてよく言われているのは「表現の自由」ですが、僕なりに違う視点で話してみようと思います。

否定までするのは窮屈で悪手

否定すべきでない理由として僕が伝えたいのは、「作品自体の否定まですると窮屈過ぎて受け入れてもらえず、普及啓発の手段として悪手だから」です。

今回取り上げた猫の問題で言えば、野良猫や不適切飼育を肯定的に描いているフィクション作品は数多く存在します。

僕の好きな作品で例を出すと、『名探偵コナン』には、野良猫に餌付けする女子が”動物好き”というポジティブな表現で登場したり、外飼い猫が事件を解くヒントを提供したりする回があります。また、『BLACK CAT』という漫画には、組織を抜けて自由に生きる主人公の生き様を野良猫に準えた「猫は、”自由”に生きるモンだぜ」というセリフがあります。

現時点で最も完成度が高いと僕が評価している作品の一つ『魔法少女まどか☆マギカ』でも、ドラマCDおよびゲームのストーリーにおいて、野良猫と戯れるシーンが出てきます。

これらの作品を削除させるというのは現実的に無理です。また、これらの作品を楽しむなと言われれば、生き物に関して関心の薄い人たちはもちろん、生き物が好きな人たちからも反発があると思います。

少なくとも僕は嫌です。野良猫に肯定的なシーンやセリフがあるからコナンやまどマギを否定しろと言われれば、僕は全力で拒否します。猫問題を認識している僕ですら抵抗を感じるくらいですから、生き物や自然に関心の薄い層の人たちは相当窮屈に感じるでしょう。

根本の目的である「理解の促進」を目指すための線引きを

そもそもフィクション作品の生き物に関する誤りや不適切な描写について僕たちが議論する根本の理由は、「生き物に関する正しい理解を広めたい」や「生物多様性保全を促進したい」という思いにあるはずです。

というより、「ただ知識マウントを取りたい」や「他人を攻撃して鬱憤を晴らしたい」という動機の人は、生き物に関係なく、一旦ネットから離れて他の趣味を見つけた方が良いでしょう。

最終的には生き物や保全への理解を広め、深めてもらうことが重要なのであれば、大事なことは伝えつつ過度に嫌われないように配慮するという、ある種の線引きが必要だと思います。

もっとも、正直この線引きが難しいことは認めます。

僕は「指摘・批判」はOKで「否定」はダメという線引きをしましたが、単なる指摘しただけでも「生き物オタクがマニアックな知識や認識を押し付けている」みたいに反発する人はいるでしょうし、そう見なされるから黙っておいた方がいいという意見もあると思います。

また、作中で環境保全的に不適切な行為が絶対正義のように描かれていたり、誤った知識を信じ込ませようとする悪意が明らかなものについては、限りなく否定に近い批判をするべきなど、程度の問題も当然あります。

とはいえ、何も基準がない中で「これはマニアの押し付けだ」「いや真っ当なツッコミだ」などとネットで言い合っているだけでは不毛です。

そのため、一つの提案として「指摘・批判はOKだが否定はダメ」という線引きを紹介させてもらっています。

サメ映画に見る”間違いを学びや発信のきっかけと見なす”姿勢

最後に、「生き物好きの人々がこういう問題にどう心の折り合いをつけるべきか?」の参考になるかもしれないので、僕が行っているサメ映画レビューのお話をさせてください。

僕は本サイト「Board-Gill」にサメ映画のレビュー記事を掲載してきました。その数は100本以上に上ります。また、サメ映画の劇場パンフレット内でサメに関する解説をしたり、サメ映画関連で雑誌の取材を受けたりなどもしています。

サメ映画を見たことなくてもなんとなくイメージできると思いますが、ほとんど全てのサメ映画が、サメに関する誤った情報、偏見や誇張を含む表現、生態学や保全の観点から不適切な内容を含んでいます。

それを考えると

サメの保護とか訴えるならサメ映画を否定すべきでは?というかサメ映画とか嫌いじゃないの?

と思うかもしれません。

この点について僕は「これは僕に学ぶきっかけや解説のチャンスを与えてくれているんだ」と割り切っています。

例えば『ディープ・ブルー』という作品にどこまでリアリティがあるか?という問題を考えて色々調べていくと、アオザメを飼育してアルツハイマー病の治療を研究するのは現実的ではないものの、人間の医療につながる可能性のあるサメの免疫機能に関する研究が実際に行われていることなどが分かってきます。

この時点で僕は、医療分野におけるサメ利用の可能性という新しい知識を得ていますし、有名サメ映画という一般に興味を持たれやすそうな切り口から、生態系サービスについて発信できる可能性が出てきました。

こういう風に、「自分が勉強したり発信するための新たな切り口が提供された」というポジティブな捉え方をすれば、「世の中の情報は間違いだらけだ!」みたいに思い詰めて過度にストレスを抱えることは少なくなってくると思います。

一応言っておくと、サメ映画の中には発信の切り口以前に娯楽作品としてのクオリティが低すぎる作品(いわゆるZ級サメ映画)や、著作権など生き物と関係ない問題で否定されるべき作品(『ジョーズ’96/虐殺篇』)も存在します。それらはまた別の話です。

生き物に関する誤った知識や偏見が広まっているのを見るとモヤモヤする気持ちは凄く分かるので、そのモヤモヤの消化方法の一つとして、学びや発信のきっかけに利用するということを検討して頂ければ幸いです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次